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インターネットや書籍において、アラハバキ神は、出雲系の地主神や出雲と東北をつなぐ原初的な蝦夷の神だとかの説が見られますが、本当にそうなのでしょうか。いろいろと考察してみました。アラハバキ神の出雲国の分布古代史研究家の斎藤隆一氏が作成したアラハバキ神社所在地一覧表(『季刊 邪馬台国 54号』「荒覇吐神...

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佐太神社のアラハバキ門現在の佐太神社の随身門  島根県松江市鹿島町佐陀宮内73江戸時代初期の橘三喜(たちばな みつよし)『一宮巡詣記 』(いちのみやじゅんけいき)には、佐太神社にアラハバキ門が図示されていました。⇒ 『一宮巡参詣記』図の場所から考えると、現代の随身門だと思います。随身門といえば、神社...

そもそも 古代出雲

阿陀加夜努志多伎吉比売命を祭る多伎神社 島根県出雲市多伎町多岐639番地阿陀加夜努志多伎吉比売命(アダカヤヌシタキキヒメノミコト)という女神が、『出雲国風土記』(733年)に登場します。古書や、神社の伝承に、阿陀加夜努志多伎吉比売命は、下照姫命だと書いてあるものがあります。その根拠となる書物を探索し...

そもそも 古代出雲

島根県東部の出雲地方には、大国主命の御子である下照姫命(したてるひめのみこと)を祀る神社はありますが、下照姫命にまつわる神社の伝承はほとんどありません。しかし、鳥取県の西部地方である伯耆には、下照姫命が天若彦命(天稚彦とも書きます。)と一緒に住んだ所や、東に移動して一生を終えた所の神社伝承もあります...

※ヘッダー画像は、出雲市の高西公園の像です。奈良時代は、高岸郷だったので、おそらくアジスキタカヒコネの神(阿遅須枳高日子命)の像と思われます。『出雲国風土記』(733年)の時代には、出雲大社(当時は杵築大社と呼ばれていた。)の前方は、広大な田畑でもなく、神門水海(かんどのみずうみ)という湖が広がって...

アジスキタカヒコネが登場する仁多郡三澤郷阿遅須伎高日子命(あじすきたかひこのみこと)の伝承地である仁多郡三澤郷、現在の仁多郡奥出雲町に訪ねました。まずは、その伝承が書かれた『出雲国風土記』(733年)の記事です。三澤郷(みざわごう)。郡家の西南二十五里の所にある。大神大穴持命の御子、阿遅須伎高日子命...

そもそも 古代出雲

出雲地方には、四つの「大神」の称号のついた神様が登場します。出雲四大神はどういう神か?その出雲四大神は、①野城大神(のぎのおおかみ)②熊野大神(くまののおおかみ)③佐太大神(さだのおおかみ)④所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)『出雲国風土記』(733年)に登場する4柱の神様を言います。記紀...

そもそも 古代出雲

火明命を祖とする天孫族と出雲族は最初から親戚だったというのが今回のテーマである。国譲り神話が頭に染みついている人には、理解に苦しむ話だ。まず「ホアカリ」と聞いて、どんな神様か気がつく人はあまりいない。漢字で書くと、「火明命」「天火明命」だ。記紀神話では、ニニギノミコトの息子の中の一人として登場してほ...

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石見国の国府(現在で言うところの県の役所)は、那賀郡の伊甘郷にが存在しましたが、場所が確定しておらす、浜田市国分町あるいは下府町(シモコウチョウ)であるという説が濃厚です。しかし、延喜式に記載されている邇摩郡の神社に「国分寺」の名前がある「国分寺霹靂(びゃくらく)神社」の存在から、邇摩郡から那賀郡に...

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記紀神話の国譲り神話には、高天原から出雲族攻略のために派遣された2番目の神 天若日子(アメノワカヒコ)が登場します。(天稚彦とも記載されます。)一番目に派遣された天穂日命(アメノホヒ)については、実際後裔の氏族が『新撰姓氏録』に登場するのに、天若日子については、後裔の氏族も全くありません。天若日子は...

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